カウンターパート

1.ナイロビ大学アフリカ研究所

ケニアで調査研究をおこなうためには、在ケニアの教育研究機関の共同研究員の資格をとり、その機関に所属しなくてはなりません。日本人研究者のうち、文化・社会人類学、言語学などの分野で研究してきた者の大部分は、ナイロビ大学アフリカ研究所(以下にIASと略す)に所属しています。それ以外の所属先としては、ナイロビ大学文学部、理学部、薬学部、農学部、国立博物館などがあります。

IASは、1965年にナイロビ大学開発研究所の文化部門(Cultural Division, Institute for Development Studies) として発足し、1970年にはアフリカ研究所として独立しました。その設置目的としては、先史学と歴史学、民族誌と社会人類学、言語学、音楽と踊りの研究、伝統的および近代的な文学の研究、伝統的および近代的な工芸の研究、宗教の研究があげられています。逆に言うならば、ケニアでこうした分野の研究を実施しようとする者は、IASの共同研究員となります。

IASが発足した当時には、ケニアの人文社会科学をになう蒼々たるメンバーがこの研究機関で活躍していました。たとえば、初代の所長はナイロビ大学の副学長をつとめていた歴史学者の B. A. Ogotであり、さらには、Taban lo Liyong、 E. S. Atieno-Odhiambo、Okot p’Bitek など、東アフリカにおける最良の知識人たちがこの機関を活動の拠点としていました。また、 George W. Mathu、 Benjamin E. Kipkorir、 Chris L. Wanjala、 Gideon S. Were、 Simiyu Wandibba といった歴代の所長は、いずれも日本学術振興会の外国人招へい研究者として来日し、日本人研究者との研究交流と親交をふかめています。

同研究所は1970年に独立したのと同時に学術雑誌「Mila」の出版を開始し、ケニアにおけるアフリカ研究の水準を世界に示してきました。しかしながら1984年以来、この雑誌は資金不足により休刊を余儀なくされてきました。1995年には、当時の所長だった Simiyu Wandibbaが来日し、来賓として出席した日本アフリカ学会の懇親会の場で挨拶をしたのですが、そのときに彼は、この雑誌を再刊することに対するつよい熱望を語りました。そのため、松田素二、松園万亀雄、佐藤俊、太田至などが中心になって「再刊支援の会」を組織して募金をつのったところ、100名を越えるアフリカ学会会員から支援がよせられ、1996年以降、同誌は2年に一度のペースで刊行され続けています。こうした点でも、同研究所と日本人研究者とは密接な協力関係を構築しています。

現在の所長は、医療人類学者のIsaac K. Nyamongo であり、とくにマラリアの蔓延を招来する生活環境の生態学的、社会学的分析を専門としています。常勤スタッフの定員は23名ですが、現在のスタッフは17名、そのうちわけは教授2名、助教授1名、上級研究員7名、研究員7名であり、スタッフの研究分野やテーマは、考古学、生態人類学、開発人類学、ジェンダーと開発、観光問題、食糧安全保障などです。

同研究所の連絡先は、以下のとおりです。
Institute of African Studies, University of Nairobi
P. O. Box 30197, Nairobi, Kenya
電話:+254-20-374-4123(所長秘書)、374-2080, 374-2078

【追記】

このアフリカ研究所(Institute of African Studies: IAS)は、その後、人類学・ジェンダー・アフリカ研究所(Institute of Anthropology, Gender and African Studies: IAGAS)と改称されました。2019年6月現在の所長は、Prof. Charles Owuor Olungah です。

(2019年6月5日、太田至)

2.マケレレ大学社会科学部

現在のところ、ウガンダで調査している日本人研究者はケニアほどには多くはないです。現地調査の際には、それらの研究者全員がこのマケレレ大学社会科学(Faculty of Social Sciences)か、マケレレ大学社会調査機関(Makerere Institute for Social Research,略称MISRマイザー)のお世話になっています。調査者は事前の手続きを取って(手続きに関しては別項目参照)、いずれかの機関に所属し、フィールドに向かうことになります。

マケレレ大学はウガンダがまだイギリスの保護領下にあった時代に創設された東アフリカでは最古の、アフリカ全体でみても屈指の歴史を持つ大学です。

1922年、木工、建築、機械の技術者養成のための小さな単科大学としてスタートしたのち、徐々に専門ジャンルの幅を広げていきます。1945年にはロンドン大学と提携を結んだ「カレッジ」となり、ウガンダが独立した翌年の1963年、「東アフリカ大学マケレレ分校」となります(当時の学生数は2000人ほど)。以来、官僚や政治家、研究者をはじめとした東アフリカ各地で活躍するエリートたちを輩出してきたマケレレは、1970年にウガンダ共和国の国立大学として独立します。

学説史に名を残すような英米日の東アフリカ研究者たち、とくに、長期現地調査をその方法とする人類学者たちは、現在と同じくこのマケレレに所属し、ここを拠点として東アフリカの各地のフィールドワークに出かけていきました。調査をもとにした彼らの報告の一部は、マケレレ大学に修士論文や博士論文として提出され、いまでも図書館に資料として所蔵されています。かつての東アフリカ大学の分校は、ケニア分校がナイロビ大学、タンザニア分校がダルエスサラーム大学と、それぞれ独立した大学となって、それぞれの国で調査する研究者を受け入れています。

現在、マケレレ大学は文・理11学部と6つの研究機関、5つの付属教育施設を擁した総合大学になっており、学生数は3万人を超えます。1990年代以降はとくに、大学教育の自由化という運営方針の転換のもと、私費入学制度の導入と夜間部の創設がなされ、学生数は大幅に増加し、現在学生の8割が私費入学者です。学内には次々に新たな研究棟が建てられ、なかにはJICAの援助を得て建てられたという研究棟もあります。そんな構内を、おしゃれに気をつかうマケレレ大学生が歩き、マケレレ名物のアフリカハゲコウ(全長1.5mほどのユーモラスな怪鳥)がうろついています。

カンパラの中心にあるタクシーパーク(カンパラ案内のページ参照)から、マケレレ大学構内行きの乗り合いが出ています。乗り合いは正門をくぐって、各学部の前で乗降が可能で、学生の多くが利用しています。われわれがお世話になっている社会科学部は、キャンパスの中央に位置する時計台の近くにあります。

社会科学部内には、社会学科、政治学・行政学科、社会事業学・社会行政学科、女性学・ジェンダー学科の4学科があります。われわれのカウンターパートは、社会学科の教授であり、社会科学部の学部長を勤めるエドワード=キルミラ博士Dr.Edward K. Kirumiraです。社会学科では、日本でいう社会学、それに社会人類学の教育と研究にあたっています。学科の基本方針では、主に同時代のアフリカ諸社会の抱える状況や問題を社会学的に扱い、具体的な開発計画や社会問題の解決への貢献という、社会学の実学的な側面への要請が強調されています。

社会科学部の建物はそれほど大きくはないのですが、これらの学部生は合計して5000人もいる(!)ため、建物の付近と中は、訪問するたびにつねに学生で混雑しています(ちなみに教職員数は15人、2004年現在)。

マケレレ大学のホームページのアドレスは以下です。学部別のページもあり、大変充実しています(英文のみ)。このページの作成に当たっても、一部の情報を大学ホームページから得ました。

(文責: 白石)

【後記】

上の文章は、2000年代の前半に書かれた記事です。2010年前後にマケレレ大学は旧学部・学科体制からカレッジ制に移行しました。学部・学科は教育体制として残っているものの、実効的な大学の運営体制は、現在カレッジにあります。

社会科学部は人文・社会科学カレッジ(College of Humanities and Social Sciences)の下にあり、Edward Kirumira教授は現在カレッジ長(Principal)を務めています。

(2016年1月、白石)

【追記】
上記、人文・社会科学カレッジのカレッジ長だったキルミラ教授は、2018年12月に退職されました。(こちら
現在のカレッジ長は、Dr. Josephine Ahikireです。

(2019年6月5日、太田至)